鍛冶屋山へ行く

帝釈山 丹生山  鉱山道                  3月20日

 行程 駐車地 → 梵天滝 →  帝釈山 → 丹生山 →  駐車地

  12時9分  12時46分 1時27分  2時12分  2時51分

 

 今日は山へ行く予定はなかったが天気がいいので昼前から近くの丹生山へ行く事にする。旧丹生山明要寺の表参道から入り鉱山跡から帝釈山へ登り丹生山を周る。

お茶を持って軽のバンで出かける、県道を東へ走ると正面に丹生山塊がくっきりと、今日は見通しも良さそうだ。衝原湖畔から坂本の丹生神社鳥居を潜り狭い道路を行くと

丹生会館手前に着く。道路の広い所に軽のバンを止める。

 

         丹生会館                         表参道入り口のお地蔵さん

12時9分に歩き始める。丹生会館前のすぐ上に旧明要寺表参道入り口がありお地蔵さんが座っている。道路を少し上がると左へバイク避けの柵があり広い参道になる。

すぐに竹薮になり曲がる所に丁石があるが、四丁とあるので元々ここにあったものではないだろう。参道は林を大きく九十九折に行った後北へ平坦な尾根の道になる。

広く歩きやすい道には次々に丁石が残っています。この丁石は平清盛が作ったものだと言われています、そして清盛は明要寺へ月参りもしていたといわれています。

 

          折れた丁石                       丁石のある尾根の参道

平坦な参道を行くと左からの林道を合流する。ここには広場があり地元のテントが立っている、何か行事があったのだろう。このすぐ先で参道と鉱山跡への林道と別れ右への林道へ入る。

車止めのチェン越えて雑木林の林道を行く、山腹をトラバースする平坦な道で両側の車の轍に雨水が溜まっている。歩きやすい道の真ん中を歩く、かなり行くと右の里から上がって来た道と合流する。

 

         参道から鉱山の方へ                    帝釈鉱山の祠

この辺りから日の差す流れ沿いになり細い木の間の道になる。この左に帝釈鉱山の小さい祠があったはずだと探すとありました。小さい木が増えて分かり難くなっています。

稲荷社帝釈鉱山と書いてあります、扉が開いていて御神体は鉱石でした。扉は閉めておきました。祠の横へ石垣があるのでここに建物があったのだろう。ホームページ「北神戸 山田の郷」

によると帝釈鉱山の歴史は古く、記録に残っているだけでも安永8年(1779年)まで遡り、最盛期は国策により増産が図られた戦争中の昭和18年です。

昭和33年以降から採掘は行っていない様です。

 

            ガレ場の上り                      梵天滝

道を少し歩くと小川を渡り東側を登る。石ばかりの川原の様な所を上がると谷が分かれる。右の谷を登っても帝釈山の東の鞍部に上がりますが、今日は左の鉱山跡へ左へ川に沿って登ります。

すぐに林を出てガレ場になり廃鉱石の斜面をトラバースする上りになる。かすかに踏み跡があり登ると平坦地に上がる。鉱山跡がありその奥に滝がある、

梵天滝で細い流れが2段に流れ落ちている。ここから東へ崖を登る、木を掴みながら登るとすぐに道へ上がりました。

 

        梵天滝の上辺りからの眺め                      鉱山跡

きつい岩の階段道で少し登ると見晴らしのいい所に出て、南に登って来た谷と山田町の集落が見える。緩やかになった道端には鉱山跡の穴が次々とあるが、長い年月土砂で埋まらないのか。

歩いて行くと1ケ所狭い谷の間になるがその後は小川沿いの緩やかな上りになる。歩いて行くとこんな所にも炭焼き窯跡がある、鉱山の人用に焼いていたのだろうか。

谷が広くなると踏み跡は分かり難くなるが歩きやすい所を登ればいいのだ。

 

       1ケ所谷の狭い所                        小川沿いを登る

雑木林の谷をかなり上がると道は左の斜面の上りになり、トラバース道を登って行くと尾根に上がる。この尾根を北へ行く。緩やかな道をしばらく行くときつい上りになり、

その後緩やかになった道を上がると1時24分に丹生山から帝釈山への主尾根にあがる。そこの木に手作りの小さい標識があり、北の谷へ淡河本町へ下りれると書いてある。

距離は短いが歩き難いルートです。東へ歩きやすい道を行く、すぐに南斜面のトラバース道になり緩やかな道を登る。

 

           帝釈山頂                       頂上より須磨からの六甲連山

帝釈山手前のピークへも道が出来ているがそのまま雑木林のトラバース道を行く。道は尾根になり小さく曲がるきつい道を登ると1時37分に誰もいない帝釈山頂上に上がる。

晴れて見通しはまずまず須磨からの六甲連山がポツンポツンと繋がっている。お茶とお菓子で休憩し10分ほど居てから道を引き返す。地道の急坂を過ぎ道が緩やかになった所から走って下りる。

この辺りは大勢人が通るので道は走りやすくなっています。すぐに登って来た鞍部に着く。そこから少し行くとコモの辻に着きここから上りになる。

 

          コモの辻からの上り                  丹生山城のあった所

この辺りで二人連れに出会いましたが、丹生山と帝釈山の間は人が多く今日は6・7人出会いました。少しきつい道を上がるとピークへ、雑木林を緩やかに下って行くとすぐ右上に広い頂上部ある。

昔秀吉に焼き討ちされたという丹生山城があった所です、今は林に帰っています。道はきつい下り坂になり少し下ると裏参道に合流すし、西へ行くと林道と合流し坂を登れば神社だが左の平坦な道へ行ってみる。

小さい祠と池があったはずだ、大木の林立する林の中の道を少し行くと池に鉄骨の屋根が出来ている。なぜこんな屋根を作ったのだろう、自然の林に池の姿でいいと思いますが何か理由があるのだろう。

 

          丹生神社鳥居                       社務所横の子供達と遊んだ木

西へ坂を上がると丹生神社鳥居前の広場に出ました。坂を上がり階段を上がると2時12分に丹生神社前に上がる。よく人に出会う所ですが今日は誰も居ません。山での安全を祈った後山を下りる、

社務所前広場の横には何の木か知らないが、子供達が小さい頃遊んだ木が同じ様な姿で立っている。あの頃この山へはよく来ました。帰りは鳥居から真っ直ぐに表参道を下る。

すぐ下の寺跡には明要寺全盛期の絵図が立ててある、何十という建物が立ち並ぶ姿は壮観です。この実物は表参道入り口にある丹生会館にあるはずだ。

                      丹生山明要寺絵図

緩やかな広い表参道は竹薮になり左は1mほどの石垣がある、そこは寺跡だろう。少し参道を下りると右へ義経道が下る。そのまま参道を下ると次々に丁石が建っている。

緩やかな真っ直ぐな参道を歩いて行くと小さく曲がる階段道になり下りて行くと昭和16年に出来た小さい丹生山橋を渡る。その下で林道と合流する。

その角地の上に延命地蔵尊が立っているが、シャカキだろうかこんな山中でもお供えされている。ここから林道になるがここが参道だ。

 

        林道と参道分岐にある延命地蔵尊                 県道からの入り口にある鳥居

しばらく少しきつい坂が続いた後緩やかな下りになったので走って下る、鉱山道分岐を過ぎた後林道と分かれ地道の参道へ。走れる所は走り登山道から民家前の道路へ、

少し下ると2時51分に消防車庫横の車の所に戻って来た。後はゆっくりと家へ帰る。

 

 

 

 

 

 

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